九死に一生を得て助かった私と、焼き出された私の家族、父と母、そして妹と弟たちは緊急の生活の場として消防署官舎に間借りしていました。そんな時でした。火傷を負った耳と太腿に包帯をしていた私の元に、担任の先生が突然訪れたのです。先生はカバンから何通かの手紙を取り出すと、そのうちの一通を私に手渡して云うのです。「この手紙は、やはり火災にあった同級生の母親からのものだ。私も読ませてもらったが、真っ先に読んで貰いたいと思った手紙だ。読んでみなさい」 もう随分昔の話で、その内容の詳細は忘れましたが、「私たちも火災で何もかも丸焼けになったことがあります。そのときは途方にくれましたが、頑張って生きればきっと良いことがあると、必死になって生きてきました。火災にあったばかりで大変でしょうが、どうか普通の生活に一日も早く戻られるよう心から祈っております」というようなことが書かれてあったと記憶しています。そして幾ばくかのお金も入っていました。先生は残りの同級生からの手紙を私に渡すと、ポケットに手を突っ込み何かを取り出そうとしていました。先生が笑みを浮かべながら手を差し出すと、そこには板チョコが三枚ほどありました。「みんな待ってるからな」そう云うと先生は帰って行きましたが、私は先生の姿が見えなくなるのを待っていたかのように板チョコに齧りついたのです。甘いチョコレートが口の中に広がると同時に、涙が溢れてきました。きっと、先生と手紙の励ましが嬉しかったんだと思います。やさしさが骨身に染みるというか、包帯の内側で痛む火傷も忘れるくらい、感極まって泣いていました。
その後、父は業界の組合長を辞職し、焼け跡付近の工場を借り受けました。そうです、父は火災にもめげず再出発を決意したのです。折りしも日本は高度成長期の波に乗っていた時代、父の元へはまた職人たちが戻り始めました。私も学校に戻ると、再び受験戦争の真っ只中に放り込まれました。しかし、私は火災にあってからというもの、以前のように勉強する気が起こりません。私の頭の中ではまだ真っ赤な炎がめらめらと燃え上がっていたのです。炎の中で私は叫びます「とうちゃん!かあちゃん!」・・・しかし聴こえるのはゴオッーという炎の燃え盛る音だけ・・・私は見てしまったのです。父と母の部屋に通じる廊下を、舐めるように押し寄せてくる炎の津波を・・・それはまさしく紅蓮地獄そのものでした。「助け・・・て・・・」声にならない言葉を呑みながら、私は窓を開けました。ああ、みんな燃えている!地面も落ちた木片が真っ赤に燃えています。何より熱線で窓を開けていられず、また窓を閉めてしまいました。メリメリと音をたてる天井を見上げると、天井板から煙が吹き出ています。その天井が崩れ落ちると同時に私の部屋は瞬く間に煙で充満してしまいました。もう一刻の猶予もなりません。私は思い切って再び窓を開けると、その窓から蛇のように外に這い出ました。そのとき私の髪の毛が一瞬にして燃え上がり、さらに燃えながら崩れ落ちてきた木片の一部が太腿に引っ付いたのです。外に出るとあたりは凄まじくも壮観な光景が広がっていました。この時のことを、どう表現していいか?・・・分かりません。
近所の人に家族の安否を訊ね、家族全員が無事逃げ出したことを知ると、私は近くの友だちの家で休ませてもらいました。その時はじめて頭の火傷に気付き、その激痛に悲鳴を押し殺していたのです。みんな燃えてしまった・・・みんな・・・
こうして学校に戻っても、私の脳裏に刻印された火災の記憶は続いていたのです。 |